【書籍感想】ネルケ無法さんインタビュー 別冊サンガジャパン③マインドフルネス その3

マインドフルネス

こんにちは。ノビーのセノビブログです。

今日も両手を上にあげて、うーんと背伸びしていきましょう!

今回の記事では、「別冊サンガジャパン③マインドフルネス」の感想(その3)を書いていきます。2016年12月1日発行です。それから4年経ってますが、面白い内容なので、感想を共有したいと思います。

それではどうぞ。

1.ネルケ無法さんとは。

この雑誌で記事を書いておられるネルケ無法さんは、ドイツで生まれた方です。
6歳で座禅と出会い、その後日本に留学し、出家、日本の安泰寺で住職をされていました。

2020年には住職を退職されているようです。

この方、ノビーは最近YouTubeでみました。
NewsPicks動画のマインドフルネス企画があり、そこに出席されていました。
その時も、いいこと言ってるなあ、と思った記憶があります。

2.現代マインドフルネスの問題点

記事の中で、ネルケさんは禅の立場から、マインドフルネスの問題点を挙げています。

マインドフルネスは、元々仏教の瞑想からヒントを得て、宗教色を無くしたものです。
なので、仏教の僧侶が行う瞑想とは多少違う(というか、瞑想がマインドフルネスを内包している?)のですが、ネルケさんの指摘する問題点は、そんな違いは関係なく、そもそもマインドフルネスは何のためにするんだっけ?という所まで考えさせてくれます。

それでは3つの問題点を見ていきます。

①他人と比較している

そもそもマインドフルネスは「今現在、この時この場所に集中し、気づきを得る」ということだと思います。
対して、今ブームとなって広まっているマインドフルネスとは、商用として、消費(というか浪費)と密接に関係を持ってしまっています。

「マインドフルネスという、すごい技術があるらしい」
「グーグルでしているらしい」
「僕はマインドフルネスしているよ、君よりマインドフルだよ」
「いや、僕のほうが君より長い時間マインドフルネスをしているから僕のほうがマインドフルだ」

こんな感じで、結局競争して疲弊する、今の社会の縮図みたいになってしまっている、とネルケさんは言います。

子供が学校に行くとき、お父さんやお母さんが「気をつけてね」と声をかけます。
これこそがマインドフルネスです。中略 みんなそれを無視して「マインドフルネスというのが欧米で流行っていますよ」と触れまわるのです。

Samgha JAPAN extra edition 3 (一部筆者アレンジ)
②自分が2つに分かれてしまう

マインドフルネスの「気づき」は、例えば「ご飯を食べておいしいと思っている自分」と、「おいしいと思っている自分に気付いている自分」(いわゆるメタ認知)のように、さも自分が二人いるかのような錯覚を起こします。

ネルケさん曰く、この2人の距離が開いてしまうことは、禅的には良くないことなのだそうです。

禅では、自分を俯瞰して見るというよりも、「自分」と「今」が一つになることを大切にしています。
呼吸しているということに気付くのではなく、DaiGoさんのインタビュー(別記事で紹介)であった、いわゆる「フロー状態」に近い概念だと思います。

食事をしている時に、上から俯瞰して「食事をしている自分がいる」と思うのではなく、食事と自分が一体になることを目指す、ということでしょうか。
要するに、「今食べている」ことに集中せよ、ということだと思います。

③欲望にドライブされてしまう

ここがノビー的に一番ショックだったといいますか、、なるほどな、と思いました。
禅宗のお坊さんだからこその視点だと思います。

結論から言うと、流行しているマインドフルネスは、結局人を苦しめることになっているんじゃないか、という提起です。
(すごーくざっくりしますが、)禅宗、というか仏教は、欲望を取り払うために修行を行います。
欲望があるからこそ、人は幸せになれない、という考え方を持っているからです(色即是空の考え方ですね、すべては空っぽであるという)。

その、仏教徒の立場から言えば、マインドフルネスの目的は、「集中力を高める」「生産性を上げる」「疲れをとって、さらに仕事をがんばる」みたいな感じなわけで、それってさらに自分を追いつめてないですか?と言っているわけです。

ハムスターが車輪の中で走っているのをやめさせるのが仏教の、瞑想の目的なのに、マインドフルネスは「車輪の中でもっと早く走ろう」と言っているように聞こえるのだそうです。確かにそうかもしれません。

さらにネルケさんが言っていたのが、マインドフルネスを兵士のストレス緩和に利用しているのが滑稽だということです。
兵士のストレスとは何かと言えば、極端に言えば人を殺すストレスです。
それを緩和して、「さらに人を殺しましょう」というのがマインドフルネスの役割になっているのではないか、とネルケさんは仰ってます。

ここからはノビーの意見ですが、ネルケさんはちょっと極端すぎると思います。
確かにマインドフルネスはそういう側面もあるかもしれません。

しかし、ノビー自身はマインドフルネスに救われました。
結局マインドフルネスは道具なので、使い方や使う人によっては悪い方向にもなる、ということだと思います。
だからこそ、人が喜ぶ方向でマインドフルネスをたくさんの人に知ってもらいたいと思っています。

(なんとなく、ネルケさんに踊らされた気がしないでもない(;´Д`))

とはいえ、ネルケさんの問題提起にはしびれました。
ノビーは少し盲目的だったことを気付かせてくれました。
ありがとうございます、ネルケさん。

3.マインドフルネスは、役に立たない、、という視点も大事。

ネルケ無法さんの著作で、「ただ坐る(すわる)」というものがあります。
副題として「生きる自信が湧く 一日15分座禅」とありますが、これは、編集者が希望したものだったそうです。
本当は、副題として「何の役にも立たない座禅」にしたかったのとのこと。

座禅とか、瞑想は、役に立たないの?とノビーは思いました。
マインドフルネス瞑想は、ノビーの役にたちました。
今も役に立っています。
もしこの記事を読んでくださっている方がいれば、その方も「マインドフルネスは役に立つから実践したい」と思っている方が多いと思います。

結局、仏教の観点から見れば、瞑想の目的は、全ては「空(くう)」つまり空っぽなんだよ、と悟るためのものです。(曲解しているかもですが)瞑想することで、全ては役に立たない(とも言えるし、役に立つとも言える)、ということを知ることが仏教の目的の一つだと思います。

確かにそれは正しいと思います。
お金とか、権力に執着が生まれると、ろくなことがないと思います。
ノビーもそうだったと思います。
お金とか、世間体とか立場にとらわれていたし、今もとらわれていると思います。

マインドフルネス瞑想は、お金や権力は役に立たないよ、と教えてくれたのかもしれません。
でも、家族とか友達は大事だし、少しくらいのお金は絶対いるしなあ、、という気持ちもあります。

ひっくるめて、バランスが大事なんでしょう。全てのものは役に経たないとも言えるし、役に立つとも言える、みたいな。
その中で、大事なものは何か考えることが大事、、ということにしておきましょう(;´Д`)

4.まとめ

長くなってしまいしました。

ノビーが宗教に属すことはないと思いますが、知識とか、好奇心の対象として、仏教をもう少し勉強したいな、と思いました。

ここでご紹介しているサンガジャパンという雑誌の感想をまとめた記事もありますので、そちらもご覧ください。

この記事がみなさんのお役に立てれば、飛び上がって喜びます。
ここまで読んでいただいてありがとうごさいました!

それではー。。

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